親父介護と仕事の二刀流はできるのか? ~在宅介護15年目の全て~ - 介護専門家コラム

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介護専門家コラム

親父介護と仕事の二刀流はできるのか? ~在宅介護15年目の全て~

特別養護老人ホームときわ燕 施設長 永井伸哉

 

 私には、在宅介護15年目に突入する親父がいます。年齢は、74歳。60歳の時に、脳出血で倒れました。当時、私は特養で介護リーダーをしており夕食後の介助中に、施設に連絡があり電話越しに救急車のサイレンが鳴り響いていたのを鮮明に覚えています。
病院へすぐに駆けつけ、集中治療室へ運ばれる際「後は頼んだろ・・・」その時は意識もしっかりしておりそのまま3ヶ月の入院となりました。

 

 入院中は、4点柵に、抑制帯、フォーレと本人も意識が朦朧とする中で、夜中にはフォーレ抜去、 ベッドからの転落と看護師さんには相当迷惑をかけたと思います。 ある日、夕食後面会に来た際、衝撃の光景が・・・ テレビの延長コードを使用していたのですが、コードリールを首に巻いている親父の姿が見え「生きててもな」「もう迷惑かけらんね」コードで自ら首を絞めていました。

 

 

 しばらくし、退院日の調整となり、主治医からは「在宅は無理ですね」とバッサリ。 当時、20代の私は介護現場にいましたので、在宅は無理の返答に「息子さんは介護士だけど無理ですよ」と・・・そこから、回復期病院を探し回ることとなります。

なんとか転院先も決まり、そこでも親父は連日ベッドから転落。 面会に行く度に、身体中傷だらけ、4点柵に「おーい、おーい」と大声をあげていました。 そして、リハビリも思うように進まず、在宅へ戻ることとなったのです。

 

 一家の大黒柱が急に倒れた事で、家の中はメチャクチャ。 当時、親父は自営業でしたので、仕事も滞り、母親も情緒不安定となり 私は、そこでこの介護の仕事と親父の介護は両立できないと思い、離職をします。 俗に言う介護離職です。私の中では、介護離職は40代~50代のイメージが強く、まさか20代の私がといった状況でした。周りの仲間が羨ましくもありました。

 

数ヶ月、在宅介護を経て、私自身も収入が無かった為、知り合いを通じて再就職することとなります。親父の介護状況もあり、もう夜勤のある仕事が不可能と判断し生活相談員として勤務することとなりました。当時親父は、要介護3でしたが、性格も頑固であり在宅サービスを使うことに抵抗感があり、母親に依存し、そのストレスの吐口は私自身でした。今現在もそうですが・・・笑

 

今では私の息子も色々と手伝ってくれます

 

なんとか、親父を説得し最初のサービスが訪問リハビリの利用でした。 「なんとか歩けるようにしてくれ」と週三回のリハビリは頑張って取り組んでいました。 しかし、脳出血の後遺症により高次脳機能と言われる、記憶障害や社会的行動障害により今までできていたことができなくなることのイライラもあり、母親や私自身を怒鳴ったりすることも多くありました。

 

私と母親は、親父に少しでも外に出てもらいたいと思いから、自営業時代の事務所や、車椅子ダンスの会合に参加したり車椅子でも入れる居酒屋に連れて行ったりと、できるだけ親父本人と過ごす時間を作るようにしました。ところが、私自身もこの介護という仕事に従事していることもあり担当ケアマネージャー、身内に「もっと息子さんに頼った方がいいよ」と言われることのプレッシャーも感じ「仕事が休めない」「仕事と介護の両立が難しい」と思うようになり私自身も押し潰されそうになり、大好きな介護の仕事すらも嫌になっていました。

 

 さらにタイミングで、同居している祖母の認知症も進行もあり、私は母親にこう言います。 「このままだとみんなが共倒れする」まさに親父と、祖母のダブル介護です。
私自身も、生活相談員として従事していましたので、担当ケアマネジャー、自身の人脈を駆使し 親父と祖母の介護保険サービスを少しでも使いながら大好きな介護を少しでも続けたいと思う様になりました。

 

 しかし、介護にゴールはありません。母親も「先に死んだ方がどれだけ楽か」「夜中に親父と祖母が寝ている姿を見るとこのまま殺した方が楽になるのではないか?」聞いた時には、ゾッとしました。介護殺人というキーワードリアルに自身の身の回りに起きうる可能性があることを・・・

 

「地裁が泣いた介護殺人」10年後に判明した「母を殺した長男」の悲しい結末
https://youtu.be/QLjXRMoM7Ec 

 

3年程、ダブル介護が続いた頃、私は施設の管理者をしていました。 当時は、祖母に「お前のとこで死にたい」と言われ、自身の施設でロングショートとしての利用。最後は病院で延命せず看取りました。親父は相変わらず、介護保険サービスを利用することをを拒み、説得する中、隔週でデイケア、 ショートステイを使ってくれるまでになりました。

 

 その後、祖母が亡くなり少しは落ち着くかと思いましたが、親父も加齢と共に、ADLの低下、体力低下、脳出血の後遺症の進行(記憶障害)も進み始め、夜間母親を寝せずに「おーいおーい」 と呼び続けました。

 

母親のストレス発散は、私にダイレクトに飛んでくる様になり、自身が勤務する施設へ連絡が入る ことも度々あり「周りが何もしてくれない」「お前は介護の仕事をしているのに何もしてくれな い」と再び情緒不安定に・・・・

私自身も、プライベートも無い中 「これ以上何をしてあげれば良いのか・・・」

 

「この仕事(介護)はもう無理かもしれない」結果、2度目の介護離職をすることになり、介護という仕事すらも嫌になっている自分もいました。

あれから、異業種に転職し自身も大腸癌を発症したりと山あり谷ありでしたが、今はご縁も あり地元新潟で再度介護の仕事にカムバックし管理者として毎日奮闘しております(笑)

 

15年の在宅介護を経て思うこと。(個人的主観です)

①家族だけで抱え込まない

② 家族会等の会合に参加

③介護休暇の積極的取得

④自分の時間を作る(自分に戻れる時間を作る)

⑤ 自分を大事にする

⑥とにかく一人でいない

⑦とにかく人と喋る

⑧とにかく笑う

⑨とにかくポジティブに

 

 

社会福祉法人行雲
特別養護老人ホームときわ燕 施設長 永井伸哉 

ホームページ https://www.kouun-tokiwaen.jp/

ときわ燕・永井施設長の親父介護の二刀流ブログ
http://www.kaigogoyoukiki.net/specialist/tokiwa/

 

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